約5日ぶりの更新で非常に申し話ありません。一人でも多くの方に読んでいただきたいという自分の意志を曲げるところでした。
えー、少し硬めの文章から入ってすみません。
皆さんは、「イシ」という言葉について少しでも違和感を感じませんでしたか?
気付いてツッコんでくれたあなたには花丸をあげます。
(こんな煽りみたいな文章ですが、謝ろうという気持ちはあります、ごめんなさい。)
意志と意思の意味についてしっかりと考えたことってあります?
僕は特にありませんでした。
現時点でゴミ大学生が露呈してしまいそうですが、それは置いておいて、
今この記事を書いている時期は学期末が近く、レポートが無駄に多く出る時期です。
(そのレポートを書くコツともいえない何かはいつかまた話したいとは思います。)
ちょうど、社会学だったか、心理学だったかのレポートを書いている時に、意志決定という言葉が出てきました。
そこでちょっと疑問を持ちました。初歩的でアホなことだとは思いますが聞いてください。
意志と意思の意味に大きな違いってあるのかな?って。
意味調べたんですけど、違いが「思い?」の強さしかない!多分!!
漢字の通り、志なのか思いなのかっていう違いしかないように見えます。
一緒でいいやん。って思うわけで、
つくづく日本人であることが嫌になる瞬間ですよねほんと。
先ほどの話に戻ると、
大学生ってレポートを書くんですよ。大学生以外も書くだろって言う言葉はなしで。
大学生のレポートって同じような文言を多用するわけですよ。
(一個人の感想です。)
その時に同じような、でも違う意味の言葉を使うべき瞬間が来た時どうするべきなのでしょう。
僕はこう考えます、受験でもあるまいし、変換で先に出てきた方でよくね?
指摘されたら訂正すればいいし、そもそも「一段落する」というのを「ヒトダンラクする」と使うような誤用が溢れている現代の日本でいちいち気にする方がアホらしくないでしょうか。
正しくは「イチダンラクする」ですよ?皆さん。なんて言われたら少しイラッときません?
運命を「サダメ」と読んだり、約束された勝利の剣を「エクスカリバー」と読んだりする日本の言葉、そして文学です。
言葉に敏感になるのはいいことですが、日本語も上手く使えないのに、日本の英語教育に文句を言う人はなんなんでしょうかね。もっと自分の立場を弁えましょう、そう、僕のように。
2021年1月24日 日曜日 深夜
改めてなろう系の作家はいろんな意味ですごい、と思っている大学生